欲しいものは何なのか

お金が欲しいというのは多分嘘である。紙幣は紙切れにすぎないのだから。

本当に欲しいのは勝利や異性や名誉ではないか。それをお金という手段、もしくはいつでもお金に困らないという境遇によって、手に入れようとするから、つい出てくる言葉が「金がほしい」となってしまうだけであろう。

究極的には欲しいものは勝利に還元される。だから人は人に勝つためになら頑張れるのだ。スポーツ競技や格闘技はもとより、勉強でも同じである。最終目標は人に勝つことである。人間の本質に基づく欲望であるから、若いときにはエネルギーを爆発的に発揮し、つまらない受験勉強に熱中できるのだ。もし欲望がないのなら、頑張るエネルギーは生まれてこない。誰も好きで勉強や仕事をするはずがない。将来の勝ち=価値を大きく見積もっているから、努力できるだけである。そしてかなり努力したにも関わらず、目標が手に入らなかったり、手に入れたものが意外に無価値なものであったら、今までの努力は何だったのかと、鬱になったり、極端な例では自殺する。もし何らかのものが手に入ったなら、もし何も努力しなかったらどうなっていたかを想像してみるべきだ。それはかなり恐ろしい自分像なのではないか。逆にもっと頑張ったら、と考えてみてもっと頑張ったら良かったと思うこともあるかもしれないが、欲がないのだから仕方がない。生まれ変わっても同じように努力しないだろう。

結局のところ何か欲しいものがありそれが自分に入手可能なら人間は頑張るし、死ぬこともない。

一番いいのは常に現状に満足することであろう。楽だし、究極に幸せなことである。しかし、人の欲には限度がない。見えない何かと比較したりする名人でもある。そうして今に不満を抱き、愚痴るか、悩むか、頑張るか、なんにせよ悪あがきをするである。

どういう生き方かいいのか私には解らない(-。-)y-゜゜゜

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