共生社会とかエコロジーとか

ボケ老人に対する偏見はないのだが、精神障害者への偏見はある。五体満足なのに働かずに、自分より幸せそうに見えるからかもしれない。しかし、そういうふうに見えることは大変良いことであるとも思える。もし自分が障害者であっても彼のように幸せに暮らせる世の中であるということかもしれないのだから。本当は家が金持ちであるにすぎないのかもしれない。ボケ老人をいつも世話していて慣れたせいか、ボケていても普通の人間であるということだ。少し胃腸が過敏であるとか、肌が荒れやすいのと対して変わらない。半身不随でも同様だ。

こういう見方を人間以外にも広げていくと、共生社会のあり方は、差別をしないことではなく、特別だと意識しない社会ということになるのではないかと思う。

私は犬や猫が子供を追いかけ回す町のほうが良い町だと思う。一面的な見方ではある。野生の犬猫をほったらかしなら、その町の住民は減っていくかもしれない。昨今、野良犬や野良猫を見かけないのは住民の望みを叶える行政の努力の賜物ではあろう。しかし、望む人が多いからと言って、正しいとは言えない。

エコロジーについてもさほど意識はされていないはず。ただ周りがみんなそう思っているからなんとなく正しいと思っているに過ぎない。

温暖化についてもそうだ。温暖化が何なのかわかっている人は多くないはず。しかし、温暖化を防ぐために、こうしましょうと言われると、そうしないといけないような気がしてくるのだ。

みんながやっていることが正しいと思う意識の賜物であろう。

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