「何が正しいかは前提をどう置くかによって決まる。公理を自明のものと考えれば、証明や論証の結果は真理に見える。しかし、そう見えるのは、ある知のシステムに閉ざされているくせに、そのことに気付かず、それを当たり前と思っているからじゃないか。構造主義は、このような疑問を深刻なかたちでつきつけることになった。」云々と「はじめての構造主義」という本に書かれてある。
最初はよく意味がわからなかったが、それは自分自身が当たり前と思っていることに対して疑問を持たないからで、自分の考え方が正しいと思っていたからにほかならない。
今正しいと思われていることも実はまるで勘違いなのかもしれない。思い込みであるにすぎないかもしれない。自分は正しいと思いがちであるが、実は考え方を変えると自分のほうが誤りだったと認めることができるのではないか。
人が社会的な生き物であることの意義もそういうところにあるのかもしれない。