太極一という型を学んだ。
5、6回繰り返したが、よく間違える。自分は頭が悪いのではないかと思えてきて、ムカついた。何回やれば覚えられるのか?
太極一という型を学んだ。
5、6回繰り返したが、よく間違える。自分は頭が悪いのではないかと思えてきて、ムカついた。何回やれば覚えられるのか?
橙帯への昇級審査
丸暗記でできる筆記試験を落としたのは悔やまれる。ただ覚えておきさえすればいいのをやらないのはただの怠慢。
実技の方は普段の練習通り。やはり普段の練習でできないところがいつもどおりできないだけ。練習不足というより意識の問題だ。
最近は後ろ蹴りの練習をやり始めた。基本稽古の中で最も苦手なので、練習すればするほど伸びるはず。体の硬さや、動きの大きさで苦手意識があるが、最初は慣れるのが一番ではないかと思う。
昇級審査のための復習。
前後移動のときにベタ足になっている(特に前足)→中足で立つ意識
拳の握り方→小指、中指、薬指の順でしっかり握る
三戦立ち→右足を内転させる
蹴りの受けで戸惑っている→練習あるのみ
今日は久々にゴルフの練習に行った。You Tubeで学んだことを試しに行った。しかしうまく行かなかった。むしろ下手になった。解釈の間違いなのか、自分に合ってないのか、クラブを寝かす意識を持つとまともに当たらない。
パンチやキックも同じ。うまくパンチを打っているつもりでも先生から修正を出される。自分では体を使ってパンチを打っているつもりなのに、手打ちになっていると言われる。指摘されないとわからないのだ。自己学習の限界がそこにある。
先生に見てもらう機会は多いほうが良い。
意識と動きとのズレを早めに修正していかないと、悪い癖が付いてしまう。
考えることの重要性。
空手は単に強くなりたいという目的では続かない。単に相手を倒すのなら武器を使えば良い。
空手をやるのは戦い方を学ぶため。そしてそのためには精神も鍛える必要がある。体と心の両方をコンロトロールする必要があると思うからだ。盲滅法に力任せでやっても相手には勝てない。相手や状況をよく見て的確な動きをすべきなのだ。それができるようになるために道場に通い、同じ技術を使う人とスパーリングをするのだ。
スパーリングで体が動くようになっている。動けば動くほど、しんどいのに、体は軽い感じがする。
現在は週1くらいのペースで道場に通っているが、もっと頻繁に通ったほうがいいようだ。疲れたくらいのほうが余計な力が抜けるためか、体が軽く動くのだ。
右ストレートを磨きたいと思う。一番使いやすいからだ。
蹴り技は決め技として使えない。というか使いたくない。バランスを崩されると終わりだから。自分は股関節が固く大きなモーションを取りがちなので、蹴った際の隙きが大きい。捌かれて転がされるのが怖い。
ミット打ちや約束組手の時に居着かないようにと指導された。動くと余計な体力を使う気がして、ベタ足で構えてしまうが、とっさに体が動かないのでだめだそうだ。
ベタ足をやめて常にフットワークを使うことにする。
最近思う。空手は戦う方法を学ぶためにやっていると。
思うに、それに加えて道場に通うのは精神鍛錬でもある。面倒なときや体調が悪いときに道場へ行くのはつらいものがある。寝たりゲームをしたりしてのんびり過ごしたい欲求に打ち克つ訓練である。機嫌が悪い時や憂鬱な時に道場でにこやかに振る舞うのも修練の一つではなかろうか。
最近職場で面倒な人間関係がある。無難にやり過ごして陰口を叩くのが大人の対応かもしれないが、正面切ってバトルするのが正解なのではないかとも思う。おとなしくやられてばかりでは相手がいい気になるだけだ。
突きを受け、反対の腕で払い上げ、突きを返す練習をやった。なかなか楽しい。
最近仕事で特にミスをしたわけでもないのに注意を受ける。自分としては良かれと思ってやったり、空いた時間を有効活用したつもりが、他の職員から見れば、「どうしていまそれをやるのか?」ということになるらしい。嫌な人間関係だ。完全にマニュアルに則ってやらなければ、影で悪く言われ、悪いイメージが大きく膨らんでいるような気がする。
武道と同じだ。油断したり、すきを見せたらやられる。緊張感を持ってやらないとこのままでは職場で殺される(=孤立させられる)。
基本稽古と伝統稽古は別物と考えたほうがいいとのこと。
基本稽古のときに伝統稽古のような動きをしてしまっている。引き手を引いてガードがオープンになってしまっている。
スパーリングでは攻撃をもろに食らう。ガードしようにも攻撃が見えないために反応ができない。慣れの問題のように思う。回数を重ねるしかないか?